7年目のプロポーズ






 セシリア、と言う名を久しぶりに耳にした時、喜びでも驚きでもなく絶望に支配された。


 「第三王子のフェルナン様が海軍副大提督のご令嬢、セシリア様を望まれているらしい」

 セシリア・ミラ・ロシェルは珍しい銀髪を持つ美少女、と国でも評判だった。父親に海軍ナンバー2の副大提督を持つ軍部中枢の貴族の姫と言う事で求婚者も多かった。
 だが、父親のパトリックはその全てを悉く跳ね除けていると言う事で一体誰が彼女を射止めるかと密かに話題に上っていた矢先であった。

 「王族に望まれたら断れない。俺もセシリア嬢を諦めるしかないか」

 言って溜息を吐く部下の男達を何人見た事か。将来海軍の高官の地位を狙う者なら皆彼女との結婚を欲していたのだ。いや、彼女と言うより彼女の父親であるパトリックと縁付く事を望んでいたのだ。


 「・・・下衆め」

 己の出世に女を利用しようと言う魂胆が許せなかった。ましてそれが自分の良く知る少女、セシリアなんて―――

 耐えられない、と知らず知らずの内に拳を握るのと背後から陽気に声が掛かるのはほぼ同時であった。

 「やぁ、レイル。こんな所で何してるんだい?」
 「・・・ユーシスか」

 何時の間にか海軍学校時代から共にいる青年、ユーシスはいつも朗らかな笑顔で接して来る。その笑顔の裏に何を隠しているのかは分からないが有能で仕事熱心な男だ。

 「あの噂・・・もう知ってるよね?」
 「・・・何の話だ」

 素っ気無く返すと意味有りげな笑みを浮かべて馴れ馴れしく肩を叩いてくる。

 「セシリア嬢の話だよ・・・一体どうするつもりだい?」
 「・・俺には関係のない話だ」

 そうだ、彼女の事など俺には何の関わりもないはずなのに。どうして――どうしてこんなに苛立つのか。
 そんな俺の心の乱れをユーシスは全てお見通しだと言わんばかりに、

 「いつまでも意地を張ってると、取り返しのつかないことになるよ」
 「・・・いまさら、だ」

 いまさらそんな事を言ってももう手遅れだ。7年前のあの日から彼女を拒み続けた俺には。

 「本気で言っているのかい?」

 滅多に見せない厳しい目つきで言われ、俯く。

 「フェルナン王子の女好きは有名な話じゃないか。お妃だってもう何人もいる・・・彼女が幸せになれるはずがない」

 ユーシスの言う通り、セシリアも王子と結婚しても後宮に押し込められて制約だらけの生活を送る事になるだろう。頼みのフェルナン王子もあれでは・・・。

 「いいのかい?大切な幼馴染なんだろう?」
 「!!・・・やはり知っていたのか」

 自分の事を他人に話す事が皆無な俺の幼馴染など――それも7年前に切れている――を知っているなど。

 「有名な話だよ。皆知ってる・・・知らないのはレイルだけだよ」
 「・・どう言う事だ?」
 「浮いた話一つない海軍の貴公子レイル様・・・きっとお目当てのお方がいらっしゃるんだわ!って考える女性は多いって事だよ」
 「・・はっきり言え」
 「こう言う所は鈍いね・・君とお近づきになりたい多くの女性方が念入りに調べた結果セシリア嬢にたどり着いたわけだ」

 女性の噂話は怖いものだよ、と溜息を吐くユーシスにウンザリとした。まさか知られていたなんて。

 「そう落ち込む事もないよ・・むしろ好都合なんだから」

 今度は面白そうに笑う青年に心底嫌気が差す。本当にこの男、何を考えているのかさっぱり読めない。だが、言う事はいつも的確なところを付いているから文句も言えず。

 「・・・何が好都合なんだ」

 結局問い返してしまうのはいつもの事だ。俺はこいつにだけは一生勝てないのではないか、と本気で思う。
 半ば投げやりに言うとユーシスはまぁよくも口が回る事だと感心する勢いで捲くし立てた。

 「例え王族でもまだ正式なプロポーズはしていないんだから今ならまだ間に合うんだ。他の男がそんな事をしたら不遜だ、と言われかねないけどレイルなら大丈夫。家柄もだけど何より君は彼女の幼馴染だ。幼い時から将来を約束していた、とでも言えばあちらも納得するだろう」
 「は?」
 「適当に理由を付けて公表していなかったって事にすればいいよ。今まで求婚を全て拒んできたのもそのためだと言う事にして――」
 「おい!?」

 ここで止めていなければもっと凄い話に発展していただろう。珍しくユーシスが饒舌だと思ったらこんな事を言うとは。

 「・・俺は、そんな事をするつもりはない」
 「いい加減にしなよ、レイル。何が一番大切かもう一度よく考える事だよ」
 「そんな事はもう分かっている。俺の一番の望みは――」
 「復讐、かい?」

 今度こそ言葉を失った俺にユーシスは少しばつの悪そうに苦笑した。

 「・・調べたんだ。どうして君がそこまで出世を望むのか、海賊を憎むのか、気になってね」
 「・・・・・」
 「君にとって、確かに復讐は重要な事なのかもしれない。でも復讐を果たしてそれで何が残るんだい?」

 何か言おうとするがどれも言葉にならなかった。それは俺が望んでいて、そして最も恐れていた事だった。
 一瞬目の前が真っ暗になり、痛いほど喉が渇くのを感じながらそれでもまだ俺は何も言えずにいた。

 「・・・レイル、君はもう少し自分の幸せを考えた方がいい」

 言うなり背を向けその場を後にしようとするユーシスだったが、最後に一言だけ背を向けたまま呟いた。

 「・・・副大提督は今日は執務室にいるらしいよ」
 「―――!」


 小さくなる男の背中を呆然と見詰めながら彼に言われた事を頭の中で反芻する。

 ・・・俺の幸せを考えろ?そんなもの・・・俺は望んではいけないんだ。母上を助ける事が出来なかった俺が幸せになる資格など・・・


 ”レイル”


 懐かしい、焦がれてやまない声が鮮やかに蘇る。

 7年前に別れてから1度だけ、彼女と会った事があった。何のパーティーであったかは忘れたが俺の目には彼女の美しい姿が今でも焼きついている。

 7年の間に彼女は驚くほど美しく成長していた。長く靡く銀髪に息を飲んだ刹那、視線が交じり合った。

 すぐに目を逸らして逃げるようにして翻す俺の名を彼女は小さくだが、はっきりと呼んだ。


 幼い頃より幾分大人びた声色に驚愕した。そしてまだ自分を覚えていてくれた事に素直に喜びを感じた。

 「セシリア・・・」

 ストン、と胸に落ちるその名をまた呼んでもいいのだろうか。だが、彼女を求めれば巻き込んでしまうかもしれない――そんな勝手な事を・・・。

 ”いつまでも意地を張ってると、取り返しのつかないことになるよ”

 ふとユーシスの言葉が脳裏を掠める。

 セシリアが他の男のものになる。しかも彼女はその男の腕の中で泣く事になるかもしれない。

 「っ・・・・」

 考えただけで狂ってしまいそうだ。

 それならば、と誰かが耳元で囁く。それならば俺の腕の中で泣けばいい。不幸にするつもりはないが、彼女が泣くならせめて俺の近くで・・・

 「・・・エゴだな」

 何て身勝手な考えだろう。彼女とこのまま関わらないつもりでいたが、どうやら俺には無理そうだ。
 一人で罪を背負って死のうと考えていたのに、目的を果たした後彼女に傍にいて欲しいなんて浅ましい自分。

 7年間溜め込まれた想いが一気に溢れ出す。ようやく動き出したこの気持ちを止める事など誰にも出来はしなかった。


 そして衝動そのままに副大提督がいるであろう執務室への扉をノックする。


 「副大提督殿・・・あなた様の一人娘、セシリア嬢を私に――――」











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